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避難所で一晩過ごしました
2019年10月12日・13日に首都圏を直撃した台風19号。
私たちが住む豊島区(また、近隣の区)でも、避難警報が発令されました。
私は0歳の子供がいるので、今回は早めに避難。
そのまま一晩避難所で過ごしました。
また、他の避難した人の体験談をできるだけ聞いてみてまとめています。
災害時の避難方法として、参考になる部分があればいいなと思い
レポートとしてまとめました。
記事作成:織田博子(記事一覧)
食を旅するイラストレーター/マンガ家。
「世界家庭料理の旅」をテーマとして、ユーラシア大陸一周半旅行に行ってきました。
池ブルックリンでは絵と食べるの担当。
公式サイトはこちら
マンガ「世界を旅する母ちゃん 駒込で子育て」(しろいぶた書房)、旅のコミックエッセイ「女一匹シベリア鉄道の旅」、「女一匹シルクロードの旅」、「女一匹冬のシベリア鉄道の旅」「女一匹冬のシベリア鉄道 特製余録」「北欧!自由気ままに子連れ旅」「世界家庭料理の旅」「世界家庭料理の旅 おかわり」(イースト・プレス)出版。
避難警報「避難レベル3」朝9時に発令!
連休最初の朝、聞きなれない警報で飛び起きました。
画面には「避難レベル3」。高齢者や体の不自由な人が、避難を開始するレベルです。
豊島区では朝9時に警報が発令。
首都圏が暴風域に入るのは21時頃を想定されていたため、かなり早い発令でした。
避難した理由
生まれて初めての避難勧告に、夫と意見が割れました。
私は「0歳児もいるので、避難を開始したほうが良い」という考え。
夫は「避難するほどではないのではないか?」という考え。
しばらく意見を交わしましたが、ただならぬ雰囲気に子どもが不安定になったため、
念のため早めに避難を開始しました。
結果的にはこの早めの避難は正解だったと思います。
また、今後起こるかもしれない、より重大な災害の際にも、この避難経験は役に立ったと思います。
小学校に避難
「東京防災」という本を確認して、適当な持ち物を持っていきました。
また、その本に「近親者に避難先を連絡しておく」と書いてあったので、実家に連絡しました。
1階なので、床上浸水が起こった時のことを考え、低いところの家電を上にあげたり、
コンセントを抜いたりしたのち、避難を開始しました。
歩いて行ける避難所で、最も近い避難所に避難をしました。
※避難所が開設されるという情報をインターネットで得てから行きました。今回の災害では、限られた数の避難所しか開かれなかったようです。
途中、雨風が強く、道が水浸しになっていて、子ども連れでの移動はやや手間がかかりました。(普段の3倍ほどの時間がかかった)
避難所では避難者リストに名前と連絡先を書きました。
体育館に案内されましたが、すでに10数名の方が避難されていました。
早めに着いたので、便利な場所を確保できたり、食料や水を配給してもらえました。
落ち着いた後は、余裕があるときにボランティア活動をしました。
早めに来たことで、気持ちに余裕が生まれ、周りを見たり助け合ったりすることができる、と気づいたのは大きな収穫でした。
この経験はもし次の災害があった時に役に立つと思います。
施設に備蓄されていたもの・設備
場所によって異なりますが、公共施設のせいか以下のような充実した備蓄・設備がありました。
ペットボトルの水、アルファ化米、毛布、カーペット(毛布の下に敷く)、ブルーシート、ラジオ(NHK)、お湯、コンセント多数
水や毛布は災害時にもっていくのは大変そうなので、備蓄があると助かるなと思いました。
また、以下のような備蓄もありました。
おむつ、アレルギー対応食、粉ミルク
ここら辺は自治体によって違うと思うので、自治体のサイトや電話問い合わせなどで確認しておくと
避難所に行くときに余計な荷物を持たずに済むと思います。
それと、学校に避難したので
水道、トイレ、図書館(子供たちに絵本を読んで時間をつぶした)
があったのが便利でした。
避難所での過ごし方
11時に避難終了したのち、荷物などを整理。
そのあとは余裕があったので、子どもたちの相手をしたり、夫はボランティアをしていたりして過ごしました。
ボランティアの方は物資の運び込みや、避難してきた人への声掛け、着替え室や授乳室などの準備をしました。
避難先は、役所の方や消防団員さんのほか、学校のPTAの方で運営されていました。
10時に避難所が開設した際は、PTAの方が一人で開かれていたようで、有事の時には街の人の力が大切だなと感じました。
子どもたちは案外楽しんでいて、体育館の設備を使って遊んだり、図書館の本を読んだりして過ごしました。
12時に昼食(アルファ化米)、18時に夕食(アルファ化米)が配布されました。(かなり美味しく感じた)
暗くなってくると子どもが「家に帰りたい」とぐずり始めましたが、すでに危険な状態で、家に帰ることはできなそうでした。
夜8時ごろ、暴風域に
夕食を食べ終わり、早めに就寝をしました。
そのあと、風の音が激しくなり、頑丈な体育館でもギシギシという音がしました。
我が家は古いので、もし家にいたらもっと怖かっただろうな…。
体育館には100名?ほどの人が泊っており、全体に散らばっていました。込み具合は70%ほど。
16時の時点で警戒レベル5が発令されましたが、この暴風雨の中、避難することはできなかったと思うので
早めに避難していて良かったなと思います。
18時22分、千葉県を震源とした震度4の地震があり、怖かったです。
体育館に寝てみた感想としては、
ブルーシート+カーペット+毛布1枚の上に寝たので、体が痛く、熟睡は難しかったです。
10月だったので寒さはなかったですが、冬はかなり底冷えすると思います。寒さ対策は大事。
また、乾燥しているのか家族みんな咳が頻繁にでました。
翌朝、帰宅
朝6時に電気がつき、起床。その時点で台風は過ぎ去っていたので帰宅しました。
意外とよく眠れて、快適に過ごしていたつもりでしたが
やはり避難所の生活はとても疲れるのか、連休中はずっと寝て過ごしました。
一晩で帰れたのでそれだけで済みましたが、ずっと滞在するのは本当に大変だと思います。
おすすめの持ち物
持っていって良かった(持っていけばよかった)ものは以下です。
・ポシェットやショルダーバッグ
貴重品類を持ち運べる小さい鞄。大きな荷物に貴重品を入れていると動きづらい・防寒具
厚手、防水などアウトドア仕様だと避難時に便利。毛布やタオル代わりにもなる・充電器ケーブル、コンセントで充電できるタップ
スマホの情報は大事。あと、暇つぶしに・電源タップ(複数口)や延長コード
コンセントが少なかった場合、人とシェアできる・本
充電なしでも読める。たくさんの人が持ってきていました・キャンプ用マットレス
床が固くて痛いので・おにぎり
アルファ化米もおいしいけど、炊いたご飯はやっぱり嬉しい。たくさんの人が持ってきていました・マスク
避難所は感染症や乾燥が気になったので。・アイマスク、耳栓
消灯時間以外でも体を休めるときに便利。
持ってこなくて良かったものは以下です。(個人的な感想)
・備蓄とかぶっているもの(食料、水、毛布など)
・手回し式充電器
…いざ使おうと思うと、ケーブルがなかったり、手回しにすごい時間がかかった。見直しが必要。
まとめ
豊島区は非常に避難警報の発令が早く、びっくりしましたが、そのおかげで早めの対策をとることができてよかったです。
避難のタイミングは、皆さんも悩まれたとのことでしたが、多かったのは「とりあえず避難所に来てみよう」「何もなかったら戻ればよい」という意見でした。
今後、災害の際に「避難所に行く」という選択肢の一つになるかと思い、このレポートを作成しました。
周りの人や友人にも聞いた避難体験
池ブルックリンメンバー・とみさん(男性、1名)
記事:とみさんの体験記「台風19号 豊島区救援センター利用体験記(単身・男性視点)」
家は上層階にあるので、浸水などの問題はないと思ったけど、かつてない規模の台風なので避難しました。
近くの避難所は開設されておらず、別の避難所へ移動しました。
最初は避難スペース設営中のため公会堂にて待機したのち、体育館へ移動しました。
豊島区のサーバーがアクセス過多でなかなかつながらなかった。豊島区のハザードマップなどを確認しました。
一晩泊り、未明に帰宅しました。
池ブルックリンメンバー・めぐさん(女性、1名)
住所は豊島区ではないので、警報は出ていなかったのですが、池ブルックリンのメンバーが避難しているので避難してきました。
夫はペットと家にいるとのことだったので、一人です。
家の近くの神田川が、見たことのないレベルまで水かさが増していました。
一晩泊り、帰宅しました。
避難所にいた60代ほどの女性、1名
一人暮らしで高齢なので不安になり、避難所を見に来たところ、すでに避難している人がいたので避難しました。
家にペットを置いてきたので、心配になったので帰宅します。(16時頃)
避難所にいた20代ほどの女性、1名
家は上層階のため問題ないのですが、一人暮らしなので不安を感じ、避難してきました。
家にいると怖くてインターネットばかり見て不安になってしまうので、避難してきて良かったです。
人と話せるのも安心します。
一晩泊り、朝に帰宅しました。
避難所にいた30代ほどの女性、家族3名
家は上層階なので問題ないのですが、小さい子供連れなので早めに避難してきました。
子どもは広いところではしゃいでいます。家にいたら雨風が強くて怖かったと思うので、来てよかったです。
授乳室ができたので助かりました。